2007年10月02日

彼岸花

最近の青ヶ島はいまいちお天気がパッとしない。
朝から雨だったり、どんより曇りだったり…。
写真もどんよりしていて暗いバッド(下向き矢印)さわやかな秋晴れな空がみれるといいな。
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9月の中頃から徐々に彼岸花が咲いている。青ヶ島で見かけるものは
主に赤色。その外に数は少ないけど、黄色や白があったかな?
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こちらは地蔵坂を登りきったところ。各家々の墓や無縁墓が並んでいる。
ヘリポート付近と並んで、地蔵坂から塔の坂までの間は先祖が
多く眠っている場所です。
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こちらは塔の坂を登ったところ。写真中ほどのちょうど木の前あたりに
建っているのが名主次郎太夫の墓です。UP写真は下。
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名主佐々木次郎太夫(じろうだゆう)の墓(晴れている日に撮った写真)
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天明5年(1785年)の青ヶ島大噴火
この時約140名の島人を残して、200名余りが八丈島へ避難。
船の沈没を逃れる為、避難船に乗ろうと必死に船べりに捕まる妻の手を
鉈で切り落とした話は、あまりにも衝撃的だ。


この時次郎作(のちの次郎太夫)18歳。
のちに八丈島(当時青ヶ島の人々は八重根地区に住居をかまえる)で
流人の娘と結婚し、1817年(50歳)名主となり噴火から50年後青ヶ島への
還住を果たす。


個人的には、この2人の名主の存在を忘れることが出来ない。
天明の大噴火(1785年)の時名主だった七太夫
江戸からの救援物資を乗せて船で八丈島に戻る途中、大嵐に力尽き
大賀郷の浜で命を落とした。

1789年七太夫亡き後、若くして名主になった三九郎
噴火後初めて青ヶ島見分に行き、岡部地区にハンノキを植えた。
噴火から8年後起こし返し着手。
その後島に残してきた仲間のために青ヶ島へ向かうが、
途中大時化にあい、紀州に流され命を落とした。


次郎太夫の墓の周りに咲く彼岸花から、だいぶ話がそれました(^^;)
青ヶ島の還住の歴史は、サイドバーに紹介してあります。
特に私がお気に入りなのは島焼け
さらに詳しく記載されているのが、火の島のうた
簡潔にわかりやすく書かれているのが火の島に生きるです。

興味のある方は是非どうぞ。











posted by aura* at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | その他の青ヶ島の事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 還住について。今日の授業で丁度、子供たちに話すところでしたので、とってもタイムリーな話題でした。
 ところで、児童公園前の還住像はどなたなんでしょうか?やっぱり、次郎太夫さん、それとも・・・
 ここのところ、じっくりとお顔を拝見しているのですが・・・
Posted by 青ヶ島の風 at 2007年10月03日 05:57
私も本で読んだ時は衝撃でした。
だから余計に青ヶ島に行ってみたいって思ったのかもしれません。
Posted by RayRay at 2007年10月03日 09:41
★青ヶ島の風さんへ★

すごい偶然でしたね^^
この記事はあらかじめ書こうと思っていたのではなく、
次郎太夫の墓の写真を見ていたら、物思いにふけって書いてしまいました。

還住像は勝手に次郎太夫だと思っていましたが、
良く見るとそのようには書いてないですね。
還住のために力を尽した島人を讃え、今後益々の島の発展を願う…。
今度詳しい方にでも聞いてみますね^^
Posted by aura*より at 2007年10月05日 07:47
★RayRayさんへ★

素晴らしい本ですよね。
ずっと目がウルウル。心がズキズキでした。
いつか叶うといいですね^^青ヶ島上陸。
Posted by aura*より at 2007年10月05日 07:51
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