青ヶ島では新年度になり、新任の先生方やお仕事の方もいらして、
3月とはガラッと雰囲気が変わりましたが、この春のお別れをもうひとつ。
ちょうど1週間前のこと。
3年間青ヶ島村保育園に勤務されていた保育士さんが離島されました。
この3年間、保育園の子供達に愛情をいっぱい注いでくれました




3月には3人の卒園児を見送り、彼女たちの小学校の入学式を見届けての
離島となりました。


保育園だけではなく、島の生活も積極的に楽しんでいて、焼酎造りや、
トビウオ漁

船酔いは全くしないそうで、

小さな小さな住宅ですが、25名もの人たちが集まってくれました


とっても明るくて、前向きな人。
きっとまたふらっと青ヶ島に遊びに来てくれそうな気がします。
お別れは寂しいけれど、きっとまた会える^^
3年間青ヶ島の子供達の為にありがとう

こんな小さな島で、またとっても素敵な出会いをしたよ^^
どこにいたって頑張ってるよねきっと

じゃあまたね。Rちゃんおもうわよう

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ダブりました。
保育士さん達はこうやって、内地でも
青ヶ島ネットワークを広げていくんですよね。
私も現在、青ヶ島保育所時代の保育士さんと
もう10年以上のお付き合いをしてます。
ちなみのその保育士さんは都内在住で、今でも
お互い3人子持ちになり、彼女は、保育ママ
して、自宅で複数の家庭の子供達を預かってます。
私も、学童の指導員として、さらに保育士パワーをアップしてまぁす。
離島された先生には、
卒業遠足で八丈にいらしたときに、
お会いしたので、
なんだか感慨深いです。
1日後一緒しただけですが、
パワフルで素敵な方でした。
島に住んでいると、
別れはつきものだけど、
でも、離島した人たちと過ごした日々は、
かけがえのない思い出として、
いつまでも心に残る気がします。
青ヶ島で結婚、出産され、保育士として
頑張ってくださっている方もいます。
保育士に限らず、自分が思いを込めて暮らした地での
出会いは繋がっていくのでしょうね。
青ヶ島に元気を与えてくれた彼女ですから、
島中の皆さんが離島を悲しみ、けれど
彼女の新しい出発を応援していると思います。
何もない田舎の島暮らしを楽しむのも、本人次第だと思います。
島に来たことを喜び、そして島と島の子供達を愛してくれました。
島暮らしが充実したのも、彼女の仕事に対する姿勢と、
島に対する思いだと思います。
それによって、周りの人も一緒に楽しませていただきました。
私は年齢も一緒で仲良くさせていただいていたので、
ご両親のお話もお聞きする機会がありました。
仲の良いご家族で、本当に素晴らしいご両親だなと思いました。
ブログもとても楽しみにしてくださっているとのこと。
ご家族をこのあまり知られていない青ヶ島の地へ送り出し、
不安に思っていらっしゃるでしょうから、
ほんの一部でも島の様子をお伝えできて良かったなと思いました。
いつもご覧頂いてありがとうございます。
きっと島の皆さんも、彼女にはまた会えるような気が
していると思います。
この出会いはきっと繋がっていくと信じています。
是非次回は、ご両親様も一緒に青ヶ島に遊びにいらしてくださいね^^
そうですね、島に別れは付きもの。
離島は何とも言えない寂しさがありますね。
彼女がヘリに乗り込むとき、涙が止まりませんでした。
でも思い出は心の中に大切にあるし、
これからも繋がっていくと思います。
一緒に過ごした時間に感謝ですね。
本当にパワフルで元気な先生でした^^
現在保育士をしたあと、学童指導員として
復帰成長している最中ですが、現在、青ヶ島
の中でも、復帰して保育士されている方も
いるということで、ほんとに、人生いろいろ
だなぁと思います。私の場合は、主人の母の
病もあり、青ヶ島から離れなければいけなく
なりましたが、我が子たちは皆青ヶ島っ子です。
内地にいても明日葉好きの魚好き。
どこにいても自分らしく、そして、教えていただいた土地の方達と、家族両親に報恩を忘れずに生きていきたいですね